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翻訳:山田和子

初出:Washington Report on Middle East Affairs,
August 2005, pages 22-23

原文:http://www.wrmea.com/archives/August_2005/0508022.html
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私の家を壊したのはなぜだ、シャロン!?
──レインボー作戦から1年がたって

ムハンマド・オマル

“Sharon, Why Did You Destroy My House?”: Operation Rainbow a Year Later

Mohammed Omer

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イスラエル軍は、この軍事侵攻を「レインボー作戦」と名づけた。そし て、この名前はコンピュータで無作為に選んだものだと言った。しかし、 殺戮の1週間を耐えたラファの人たち、ラファの子供たちにとって、「レ インボー作戦」の名は、このとてつもない恐怖の1週間を表わすにはあま りに腹立たしい脚注だった。

ギリシャ神話では、虹は、大地とオリュンポス山、人間と神々の間をつな ぐ橋だ。旧約聖書では、大洪水を起こして世界を破滅させたのちに、神 は、平和と再生の象徴として空に虹をかけたと記されている。だが、2004 年の5月、ラファの夜空を覆いつくした砲弾・爆弾がもたらしたのは死だ けだった。「レインボー作戦」の名が妥当だと言えるとしたら、それは、 あれから1年たった今、ラファの人たちに襲いかかったイスラエル軍の激 烈なテロ攻撃のイメージは誰の頭にもまだありありと残っているのに、実 際の痕跡は虹のように薄れかけているというところにしかない。

第2次インティファーダが始まってからほぼ3年、ラファの人たちにとっ て、イスラエル軍の侵攻はもうすっかりおなじみの出来事になっていた。 上空にアメリカ製のアパッチ攻撃ヘリが現れ、地上の戦車とともに砲弾を 浴びせかけ、その後に巨大ブルドーザーがやってきて、家を、電気や水道 などのインフラ設備を、人間を押しつぶしていく……これがいつもの手順 だった。

「レインボー作戦」遂行の口実は、それまでの幾度もの 侵攻と同様、「保安上の理由から」──ラファからボーダーを越えてエジプ トにつながっている密輸トンネルなるものを見つけ出し、破壊するという ものだったが、2004年5月のイスラエル軍の攻撃/大殺戮は、エジプトと のボーダーからかなり離れたラファの北部、タル・エッ・スルターン地区 とブラジル地区から始まった。戦車とブルドーザーは道路という道路をズ タズタにし、電気・水道・下水のライフラインを完全に破壊し、地区全域 の家屋を押しつぶし、はては、ラファのたったひとつの小さな動物園まで ブルドーザーの下敷きにしてしまった。

イスラエル軍の狙撃兵は、背の高い家の屋上に陣取り、ありとあらゆるも の、動いているありとあらゆる人間に銃撃を浴びせた。洗濯物を取り込み ペットのハトに餌をやろうとしていた10代の子供ふたりを「敵対的な動き を見せた」と言って撃ち殺した。空からはアパッチ攻撃ヘリが間断なく砲 弾を落とし、大勢の人たちが手も足も頭も胴体もバラバラにされて一帯に 飛び散った。

レインボー作戦が進行していくうちに、食べ物も水も医薬品もなくなって いった。救急車はイスラエル軍の銃撃に阻まれて、怪我をした人のもとに 行くこともできなかった。アン・ナジャール病院の遺体安置室はあふれか えり、やがて、殺された人を埋葬するために外に出ることさえできなく なって、急遽、それまで野菜を入れていた商用の大型冷蔵庫が遺体を保存 するために使われることになった。

ひとときたりとやむことのない爆発と銃撃の音も、住民の絶望の声をかき けすことはできなかった。ひときれのパンを、コップ1杯のミルクを、ひ としずくの水を欲しがって泣く子供たち。その子たちに何も与えることが できないのを嘆く父親と母親。突然夫を亡くして寡婦になった女性と親を 亡くして孤児になった子供たちの悲しみの声。死にかけた人、手足を切断 された人たちの苦悶の叫び。そんな合間に沈黙が降りるのは、かつて人間 だったものの一部分を目のあたりにした時だけ。バラバラになった脚、 腕、胴体の一部。救急車の運転手が回収できたのはそれだけでしかなく、 みな、ショックと信じられないという思いに包まれて声を失ったまま、ど れが自分の家族や親族や友人たちの脚や腕や胴体の一部なのかを、何とか 確認しようとしていた。

1年たった今でも、当時の写真を見ると吐き気がこみあげてくる。どれも コンピュータの画面上のただの点の集まりにすぎないというのに。僕は、 この時点で初めて、これらの写真のリンクに「正視できない残酷な写真で す」と、警告と謝罪をつけるようになった。それでもなお、あの時、つい 今しがたまで生きている人間だったもののバラバラの断片が山と詰まれた 病院の担架の横に立っていた時の、あの血と肉片の現実よりは、写真のほ うがまだしも耐えられると言っていい。

国際社会の抗議の声が届くのは遅く、聞こえてこないも同然だった。レイ ンボー作戦が終了するまでに、60人のパレスチナ人が殺され、数百人が負 傷し、多くが一生に及ぶ障害を抱えることになり、数百軒の家が破壊され て、何千人もの人が住む場所を失った。

5月16日、イスラエル軍のアパッチヘリは、武器など持っていない数百人 の大人と子供のデモの隊列に砲弾を撃ち込んだ。数人が死亡し、大勢が負 傷した。このデモは、国際社会に、食べ物と水の支援に加えて、何とか介 入してほしいと訴えるものだった。イスラエル軍は「パレスチナ人が先に 銃撃してきた」と強弁したが、デモに参加していた10人以上のジャーナリ スト──ほとんどが、それぞれに何とか戦火をかいくぐってやってきた人た ちだった──が撮ったビデオと写真で、デモに参加した人はいっさい武器を 持っていなかったことが証明された。

ここに来てようやく、アリエル・シャロンの全面的な支援者・協力者で あったブッシュ政権も、公的な抗議の声を無視できなくなった。イスラエ ル軍は徐々に撤退を始めた。だが、撤退が始まってから数日後、UNRWA (国連パレスチナ難民救済事業機関)の当時の事務局長、ピーター・ハン セン氏がラファの被害状況を視察に訪れた際、イスラエル軍の狙撃兵が、 国連の視察団一行からわずか1ブロックしか離れていないところで、3歳の 女の子を撃ち殺した。

レインボー作戦から1年たった今、53歳のアブー・ソフィ・アジャーレ ワーンは、毎日、ほとんどの時間を、かつて自分の家だった瓦礫の山の前 で過ごしている。この大家族の長は、以前は、野外市場で魚を売って生計 を立てていた。しかし、今では、魚を獲ってもイスラエルの検問所を通し てもらえることがめったにないので、漁師として暮らしていける者はほと んどいなくなっている。レインボー作戦でイスラエル軍に住居を破壊され てしまって以来、アブー・ソフィと家族にとって、普通の生活と呼べるも のはいっさいなくなってしまった。

この1年間、53歳の老人は毎日、瓦礫の前の小さな黒いソファに座ってい る。問いかけてみるといい。そうしたら、老人は、この瓦礫の山がかつ て、どれほど大きな家だったかを話してくれるだろう。次々と建て増しを 続けて大きくなっていった一家の場。1年たった今、結婚した子供たちと 孫たちが、回収できる限りの家財道具を回収した今でも、アブー・ソフィ はなお、ショックを受けているように見える。考えられないことは理解で きないというふうに見える。

わしは、この家を両親から受け継いだと、老人は語ってくれるだろう。ど この家も同じだが、息子たちが結婚して子供ができると、家は大きくなっ ていった。金が貯まると、ここにもうひとつ部屋を、あそこにもう一階 を、というふうにどんどん広がっていった。ここは、アブー・ソフィが生 まれた家、アブー・ソフィが生涯をかけてやってきたことすべてが詰め込 まれている家であり、いずれ子供たちに譲られる遺産となるべきものだっ た。

そして、蓄えも仕事も希望もほんのわずかなものになってしまった今──実 際、最も控えめに算定しても、現在、ラファの住人の80%以上が貧困ライ ン以下の生活を送っている──、アブー・ソフィは日々、瓦礫の前に座って いる。3歳くらいの幼い孫娘と、その友達が4人か5人、アブー・ソフィの 膝の周りに群がって、老人の言葉に熱心に耳を傾けている。アブー・ソ フィはこう話している。「わしらは絶対にここに戻ってくる。いつか、も う一度、家を立てるんだ。占領はいつか終わる。こんな不当なことには、 絶対に終わりが来るに決まっている」

最後の言葉で、いつもは静かなアブー・ソフィの声が高くなる。でも、こ の希望に包まれた瞬間はすぐに消え、答えのない無数の問いへと続いてい く。「きっと、きっと、きっと」と、アブー・ソフィはささやくように繰 り返す。「誰かいるだろう。わしの代わりにイスラエルの首相にこう言っ てくれる人間が。『シャロン、なぜ、わしの家を壊した? わしらの生活 をめちゃくちゃにして、どうしてあんたの国がもっと安全に、幸福にな るって言うんだ?』」。涙がしわだらけの頬を伝い、白くなった顎鬚に吸 い込まれていく。「なぜだ、シャロン、なぜなんだ?」

ラファのすべての人と同様に、僕も、僕自身の「答えのない問い」を抱え ている。むろん、将来にかかわる問いもある。

交渉によって、はたして、公正な平和はもたらされるのか? あらゆる挑 発の行為を乗り越えて、停戦は維持されるだろうか?

でも、ラファでは過去から逃れられる者はいない。だから、僕はしばしば こんなふうにも問いかける。

レインボー作戦の責任者、アブー・ソフィの絶望の本当の責任者は誰なの だ? イスラエル軍のブルドーザーの操縦者か、アパッチ攻撃ヘリのパイ ロットか、狙撃者か、命令を下した軍の高官たちか、政策を決定したイス ラエルの政治家たちか、何も発言しないことによってイスラエルの暴虐を 看過した国際社会のリーダーたちか? この責任は、税金納入者として シャロンとその政府を支援しているひとりひとりにまで及ぶのではない か? この占領の現実を無視し、あるいは、裏ページに追いやって埋没さ せている、西欧社会の主要メディアにまで及ぶのではないか?

そして、最近特に思うことが多くなったのは──何の罪もない人たちの体と 心が、瓦礫と化した家と同じように押しつぶされて土埃になっていってい るというのに、あれだけたくさんの人たちが無関心でいられるのはなぜな んだろう? 満ち足りてのんびりと日々を送っていられるのはなぜなんだ ろう? 立派な生活を送っているそんな人たち──手足がなくなったわが子 の体を自分の腕に抱いたことなど一度もなければ、これからも決してあり えないだろうそんな人たちは、でも、なぜか忙しくて、抗議の手紙一通書 く暇も、抗議の署名をする暇も、抗議のデモに参加する暇もないのだ。こ の人たちには、はたしてわかっているのだろうか……沈黙が、爆弾や銃弾と 同じくらい確実に大勢の人たちを殺しているのだということが。

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被占領地ガザからのムハンマド・オマルのレポート。
レインボー作戦の間に、ムハンマドは弟と5人の親族をイスラエル軍に よって殺された。

この記事によって、ムハンマド・オマルは、New America Media (Washington DC)の主宰する2006年度ベスト・エスニック・メディア賞 を受賞。

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翻訳:山田和子

初出:Washington Report on Middle East Affairs, August 2005, pages 22-23

原文:http://www.wrmea.com/archives/August_2005/0508022.html

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