天国に一番近い場所

    夏のヘブロン近郊の村での調査も終わりに近づいたある日、インタビューの帰りに通りがかった車に、私は突然乗せられることになった。運転しているのは泊めてもらっている家庭の長男。その場にいた彼らの従姉妹たちも一緒にライトバンの座席に詰め込んで座り、目的地も告げずに車は走り出す。 「遠足に行くんだ」 とは言うが、すでに日は傾きかけている。一体どこへ?という私の心配をよそに、従姉妹たちは大喜び。 「ちょうど退屈してたのよ!」 あと数日で学校が始まる、という時期ではあったが、親戚の家を訪ねてはおしゃべりするばかりが暇つぶしの毎日では、いい加減飽きもするのだろう。よく見ると車の中にはバケツや箱なども積んであり、どうもブドウ狩りにいくらしい。


私のほうはといえば、3週間に及ぶフィールドワークで、心身ともにちょっと疲れ果ててきていた。アラビア語しか通じない(それも方言がかなりきつい)、衛生観念が違う、料理は美味しいけれど油がきつくて次第に胃が受けつけなくなってきた。調査の過程で彼らの家庭内問題に巻き込まれ、微妙な綱引きの間に置かれてしまったり、大事な眼鏡を壊されてしまったりもした。それでも、怒れない。甘すぎて飲めないお茶も、丁重に断るしかない。彼らも彼らなりに最大限の気を遣ってくれているのが分かるし、調査をしっかり手伝ってもらっているからだ。 しかしたまってきたストレスに、もはや判断能力もあまりなく、惰性で車に乗り込んでしまった。同乗の従姉妹たちは興奮して、私に「これまでどんな国へ旅行したの?」とお決まりの質問をしてくる。 「うーん、イギリス、ベルギー、オランダ、韓国、とか行ったけど、一番多いのはパレスチナかな」 「一番きれいだった場所は?」 「やっぱりパレスチナだよ」 私の答えに彼女は満足したらしく、誇らしげに窓の外を見やりながらつぶやいた。 「そうよね、パレスチナよりきれいな場所なんてないわ(マフィシ マカーン アフラー ミン ファラスティーン)!」


そうこうしている間に、車は住宅地をはずれ、谷の見渡せる丘陵地の上にやってきた。突然車が止まったかと思うと「降りろ」と促され、よく分からないうちに降りると親戚のひとりを指して彼について行けという。見ると車の脇には 低い塀に囲まれて、低木の並ぶブドウ畑が始まっていた。 足場が悪いので一生懸命、畝の間をぬって歩きながら、中へ入っていく。畑は広く、20メーターほどの幅で、ゆるやかに斜面となって下りていっている。すでに数人先客があったが、彼らは親戚ではないらしい。簡単に挨拶を交わすだけで、私は「自分たちの木」に案内された。


 なんでも年契約で畑の中のブドウの木々を1列、2列と借り切り、収穫する権利を買い取るらしい。世話は畑のオーナーがするそうで、なんとも便利なシステムである。商売上手のヘブロン人らしい。人の背丈ほどの高さの木から、見よう見まねでブドウの房を摘み取っていると、一緒に来た子どものひとりがやってきて「あっちの木へ行こう」と言う。なるほど、大半の木はパレスチナ南部らしい「白ブドウ」(黄緑色の細長い実)なのだが、中に混じって黒い丸い実や、赤い実のなる木も植えてあるのだ。味としては黒や赤のほうがやや歯ごたえがさっくりして、うまみが強い。白もやわらかくジューシーで、なかなか捨てがたいのだが。  


優先して車から降ろされた私に続いて、後から長男の嫁や従姉妹たちも畑に入ってきた。みんな楽しそうに木の周りに集まり、しっかり熟した実を目を凝らして選んでいる。その歓声を聞きながら、私は手を休め、ふと畑の続く谷の方に目を移した。その瞬間、


予想もしなかった美しい光景に、私は胸を打たれて立ちすくんでしまった。沈む間際の夕陽、なだらかに下りていくブドウ畑、その向こうに広がる豊かな谷の景色。それは神々しい、と言ってもいいような迫力を備えていた。金色に照らされた木々の中で、風景の一体と化してたわわな実を摘み取る人々の姿が艶やかに溶け込んで見えたばかりではない。それがおそらく何千年も前から繰り返されてきた、ここでの人の営みの姿なのだということが、存在自体をもって私を納得させ、目の前に広がる景色に荘厳な重みを与えているように感じられたのだ。おそらくこの世に楽園というものがあるとすれば、アダムとイブが暮らしていた楽園とは、きっとこのような場所を指すのだろう。


鬱積していたくだらない悩みごとが、溶けて消え去っていくようなカタルシスに、私はしばらく身をゆだねていた。土地をめぐり、信ずるものをめぐって争いを繰り返しても、そのベースとなる人の暮らし、生活する姿というのは変わらないものなのだ。そう思うと、袋小路に追い詰められたようなイスラエル・パレスチナ間の紛争の将来を案じる気持ちが、ふっと軽くなるような気がした。


「問題の解決は神(アッラー)がもたらしてくださる」 いつもなら、そんなことを言われるとパレスチナ人の根拠のない楽観主義に頭を抱えたくなるのだが、このときばかりは人の力では抗えない「神の掟」を、私自身、信じてもよいような気持にとらわれていた。


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