イスラエルのタルカン

「4カ国語が話せるわ」 そう言ってにっこりしてみせる彼女と、私はうまく会話を交わすことができない。 ロシア生まれでウクライナ系の彼女が話せる言葉というのが、 ヘブライ語、ロシア語、ウクライナ語、ポーランド語の4種類だからだ。


せめてドイツ語かフランス語でもあれば、学部の第二外国語で習った 過去の知識の錆をこすり落として、話を推測できるかもしれないのに・・・(それも怪しいけど (^^;) 万国共通語のように思われている英語が通用しない世界に、ここでも遭遇することになった。


これはイスラエルの南端、紅海に面したエイラットという観光都市での話。 知り合いの紹介で転がり込んだ家で、たまたまイスラエル・アラブの 出稼ぎの青年ばかりが集まって住んでいるのに出会うことができた。 やはり英語が苦手な彼らとも、結局はアラビア語でコミュニケーションをとることに なったのだが、2年もヨルダンに住んでいたおかげでこちらはそう苦労なく 意思疎通することができる。問題は、その中のひとりの彼女として同居している ロシア人の女の子との会話だった。


3年ほど前に出稼ぎでやってきて、とっくにビザなど切れてしまっているらしい。 「じゃあ、ロシアに帰れないの?」と聞くと 「もう長いこと、ママには会ってないわ」と平然と応える。 でもやはり故郷は恋しいらしく、「よく電話してるの」と身振り手ぶりで言っていた。


そんな彼女も、今日は家の掃除で忙しい。イスラーム教徒の彼氏の同居人の 家族がこの祝日(イード)にやってくるかもしれない、というので、家中の掃除をするよう 仰せつかったのだ。そう言い出した当の本人たちは、朝からさっさと 外出してしまい、家に残されたのは私と彼女の2人。 朝食代わりにタバコを一服ふかすと、彼女はかいがいしく掃除にとりかかった。


私が手伝おうとすると、「ノー、ノー、アイコ」と言って 立てた人差し指をちっちっと横に振って、やめさせられてしまうので 仕方なく、居間のソファーに座ってテレビでも見ることにした。 チャンネルを渡してもらったのはいいものの、ヘブライ語のバラエティ番組で しゃべってる会話など、ようやく文字をたどれる程度の初学者の私には とうてい理解できない。仕方なので歌番組ばかりを見ていると、 そのうち彼女がやってきて、ロシア語のチャンネルに切り替えた。 やはり聞くのは母国語がいいらしい。


ソ連崩壊を受けて90年代にロシア系移民が急増したイスラエルでは、 ロシア語のメディアが非常に発達している。ロシア語ばかりの書店もあるし、 地上波でもロシア語のチャンネルがいくつも存在する。 母国を離れたとはいえ、この環境ならそう疎外感を感じることもないだろう。 聞きなれたアラブ音楽や、洋楽、ヘブライ語の曲ともまた違う音楽と ビデオクリップに興味深く見入っていると、そのうちどこかで聞いたことのある 前奏が流れ始めた。


え?
一瞬、耳を疑った。これはたしか、前にトルコに行ったとき 記念に買ったCDの歌手。曲もトルコ語のはず・・ 見ていると、CDのジャケットに写っていた見覚えのある顔の男性が、 にこやかに踊りながら歌い始めた。やっぱり、タルカンだ。


ボスフォラス海峡を船でさかのぼって黒海の縁を見に行ったとき、船着場近くの 店で観光用の葉書と一緒に並んでいるのを見つけて、気に入った買った 二枚目の歌手の写真が、タルカンだった。 彼のCDを、帰りのイスタンブル空港で買って聞いてみると、予想以上に 「トルコ風」(とはこちらの勝手な思い込みだが)の独特のメロディだったので 気に入って、ときどきかけては聞いていた曲だった。 アラブ音楽のチャンネルでは登場しないので、ビデオクリップは見れないものと あきらめて(そもそも存在することすら知らず)いたのだが、 まさかこんなところで見れるとは思いもしなかった。


ただただ奇遇に驚いて見入っているうちに、クリップは終わり、別の曲に 変わってしまった。次の曲はまたどっぷりロシア語の(と思われる)ポップス。 いやあなんと、トルコの曲が、イスラエルに住むアラブ人の家のTVの ロシア語チャンネルで聞くことができるんだな。またそれを見て懐かしがって いるのが日本人、というのも妙な話だ。そんなことを思っている間に、 隣の部屋の掃除が終わったらしい。腕まくりをし、ズボンの裾を ひざまでまくった彼女と一緒に、私は居間の重たいソファーを動かす作業にとりかかったのだった。


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