同時多発テロ 掲示板記録2

1. テロの当事者は誰か?【続き】

15 さらなるアンチテーゼ 宇治 一 2001/11/06 11:00 アンチテーゼを受け止めていただきありがとうございます。 ご意見に対してですが、空爆の是非に関してタリバンに対してのその効果、効能は疑問の残る点が ないではありません。しかしながらそれをもって、空爆反対、地上軍投入というのはおかしくないです か?純軍事的視点からみれば、空爆によりタリバンの軍事力が弱まるのは事実です。これをもって 誤爆を正当化する訳ではありませんが、アメリカからすれば自軍の犠牲を最小限に押さえようとするの は当然の行動です。誤爆の恐れがあるので、自軍の犠牲を省みず地上軍を派遣せよと言うのは無謀と しか思えません。これと市民を盾に政府の延命を図るタリバンは対極にあるとおもいますが。 次に先の大戦で日本市民が政府を支持していた為、空襲に対して文句は言えないのでしょうかとの 質問には殺害された事に関しては、いたしかたないと思います。これは現代社会に生きる市民の責任だ と思っています。しかしながら私は先の大戦の空襲には反対できます。東京にしろ大阪にしろ 彼らは明らかに都市を空襲したのです。つまり標的は日本市民だった訳ですから明らかにこれは 非道です。翻って今回の空爆は誤爆があるとはいえ軍事施設、タリバン施設への攻撃を行っています。 これは軍事的に問題ないと思いますが。 ***** 最後に大きな疑問ですが、今回のテロはアメリカにのみ行われたものでしょうか? 確かにアメリカでおこりました。しかし標的はWTCです。世界中の企業、人々の集まるWTCです。 そして日本人にも被害が出ています。その後の経済的混乱もそうです。けっして対岸の火では ありません。日本も十分に被害国です。憲法の制約上アフガンへの攻撃はできませんがそれを行う アメリカに協同歩調を取るのは当たり前でしょう。 決して戦争をしろと言っているのではありません。日本はアメリカを支援しているのではなく、 当事者だという認識が決定的に欠けていませんか? 今回協同歩調をとらなくてもアメリカの同盟国なのは世界中が知っています。つまり今支援をしなけ ればテロの対象にならない訳ではないでしょう? あまりにも日本独自の視野の中で論議が進められていませんか?憲法議論しかり一体化理論しかり、 私の知人のアメリカ人やオーストラリア人、カナダ人などは本当に理解に苦しんでいます。 もっと現実に則した考え方が必要ではないでしょうか? 私のアメリカの知人はこうも言いました。「今のままでは、日本は経済的地位を失うと 西欧諸国は見向きもしなくなる」と。これは彼らの本音ではないでしょうか? もう少し一国平和主義から脱却した考え方が必要だと思います。またこれを機に憲法論議、戦争論議 が盛んになる事を望みます。戦争が恐いから戦争の論議をタブー化するのでは、火事が恐いから 火を使わないという発想と変わらないのでは? 真剣に考える時が来たのだと思います。 16 議論が面白くなってきましたね! ゆりこ 2001/11/06 12:56 少し議論が戻ってしまうのですが、 > 無辜のアフガン市民に犠牲をしいているとの表現もありますが、ほんとに無罪でしょうか? 私も、この疑問には同感です。が、この疑問を示される方が、 > 無差別に民衆(飛行機の乗員・WTCの人々)を虐殺したのはテロリスト達です と、さらりと書いてしまう事には違和感を感じます。 テロリストが狙ったのは何だったのか。単に無差別に「アメリカ人」を虐殺するのが目的ならば、 他の手段(同時に幾つもの満員のスタジアムを攻撃するとか)で何万人という単位のアメリカ市民を 虐殺することは可能だと思います。 WTCとペンタゴンを攻撃したというのは、明らかなメッセージがあるのではないでしょうか。 テロリストにとってはそこにいる市民は「無辜の市民」ではない(タリバンをかくまうアフガン市民が 「無辜のアフガン市民」となり得ないのと同じように)のだと思います。 > 最後に大きな疑問ですが、今回のテロはアメリカにのみ行われたものでしょうか? 「アメリカにのみ」とは言えないと思いますが、日本人の被害者が出た、日本も被害を受けているから といって「日本も当事者だ」とは言えないと思っています。攻撃対象は「アメリカ」の経済の中枢と 軍事の中枢だったのではないか、というのが私の理解です。 日本は、そのアメリカの経済力と軍事力の恩恵に浴してきていて(頼ってきて)、それが打撃を受け てしまったら日本だけでは立ち行かないから、どうすればいいのか、ということではないでしょうか。 このまま「アメリカという覇権国家」の力を信頼して追従していくことが良いのか、もしくは、他の 世界構造のあり方を研究して示していくことが良いのか。私は、日本は、後者の役割を果たす方が 良いと思います(せっかく役に立つ軍隊がいないんだし、憲法9条もあるんだから軍隊を出さないと 言っても本来なら責められることはないんだから)。 道義的に「戦争反対」というのもありますが、同時に、アメリカの軍事力、経済力(←重要な役割を 担っているのは巨大軍需産業なのでは?)に世界が頼っている現在の世界構造はあまり長続きしない (というより、この世界構造のままでは環境の問題からも人類は長続きしないかな)と思うからです。  > 戦争が恐いから戦争の論議をタブー化するのでは、火事が恐いから火を使わないと > いう発想と変わらないのでは?  > 真剣に考える時が来たのだと思います。 にはとても共感しました。 戦争に反対するなら、戦争についてきちんと研究して論議する必要があるのに、それをしてこなかったから、 平和運動の力が弱いのでしょう。私も未だ全然勉強不足なので、勉強中です…。

2. ウイルスと山の自警団

17 私の思うところ 宇治 一 2001/11/07 10:01 そうですね。みんさんの貴重な意見は勉強になります。しかしながら、どうも私の思うところが理解して頂けない ようなので追記しますが、"ゆりこ"さんのおっしゃる通りアメリカ市民にも政府に対する責任があります。 その意味において仮にアメリカの軍事施設、政府関連施設に攻撃があり死者が出てもそれは仕方ないことだと 考えます。しかしながら私がテロリストを虐殺者と述べるのは、彼らの行為は市民そのものを目的とした攻撃だからです。 (こういう意味においても日本は当事者だと考えます)ここは明らかに違う点です。 例えるならば凍結した道を慎重に運転しながらもタイヤを取られて人を轢いてしまったのと、 はじめから人込みの中に車を突入させて意図的に人を轢き殺したのとは(例えメッセージ性があったとしても) 明らかにちがうと思いますが、どうでしょう? また日本は平和憲法を持っているから、軍隊を出さなくても責められる筋合いはないとのご意見は、 これこそが日本国内でのみ通用する理念ではないでしょうか?これも例えになりますが、殺人犯が山に隠れていて、 町内会で自警団を結成して、山をみんなで捜索して犯人を捕まえようと決まったとしましょう。 そこで日本家だけが、「我が家の家訓で危険な事や汚れる事はしちゃいけない事になっているので、できません。 その代わりみなさんのクリーニング代は負担しますから、これで文句ないでしょう。」と言った時、 周りの人々は納得するでしょうか?10年まえの湾岸戦争の時は正にこの状態だったのではないでしょうか? つまり日本ひとりよがりの意見だと思いませんか?  最後にアメリカ追随型でない第3の道を日本はめざすべきではとの意見には賛成です。しかしながら第3の道とは 常にアメリカと異なる道と言う訳ではないとおもいます。私自身、京都議定書や核問題でのアメリカの対応には 非常に不満があります。しかしながら今回の件にはアメリカに賛同です。ケースバイケースではないでしょうか? 18 「当事者」性について、少し意見が変わりました 錦田愛子 2001/11/07 13:32 アメリカの対アフガン攻撃の是非については、もっと専門的な軍事作戦に関する知識が体系的に必要だな、 と感じつつ、いい本を見つけられないでいます(ご存知の方がいらしたら紹介してください!(^_^;))。  ただ、空爆が始まった頃の軍事アナリストの解説によれば、初段階での空爆による制空権の確保、それから 対象をやや小型の軍事関連施設に移した空爆と情報収集、最後に特殊部隊を中心とした地上軍の派遣という話だった と思うのですが、まだ第1、2段階、ということでしょうか?(1、の確保は非常に容易だったというし、 アメリカ自身も「成功」を言明しているから、その後1ヶ月も経って2が終わらない、ということ? でもそれって作戦ミスじゃないでしょうか)  個人的に感じるのは、アメリカの「ベトナム・シンドローム」「ソマリア・シンドローム」の影です。 前にも書きましたが、アメリカは人的犠牲を極度に恐れている。もちろん、自軍の被害を最小に抑えるのは 戦闘の基本かもしれません。でもそのために有効な攻撃すら行なわず、徒に民間人の犠牲を増やしているとしたら (実際、誤爆被害は第1段階よりも第2段階の攻撃の後半に移ってから増えているような印象を受けます)、 それはおかしいんじゃないか、ということです。  アメリカの国内情勢を考えると、戦争を派手に「外」でやっている間は「中」の経済の危機的状況や、 民主党・共和党間の不和、等から目を逸らしておかせることができます。(これは政治的には常套手段)戦争は、 身内の結束を固める超強力な「シンボル」です。 …なんだかそういうドロドロしたものを、今回の空爆の陰に感じてしまうのです。  市民としての責任、民間人と戦闘員の間の攻撃対象の違い、という話では、"宇治"さんのお話は筋が通っている ように思います。半ばヒステリックに繰り返されている、「女、子どもまでが攻撃の被害に!」という報道や 呼びかけよりはよほど共感を覚えます。ただ、それに「納得」するためには、制度としての民主主義だけでなく、 それが実質的に成就されている状態が必要だと思います。言論統制や思想の取締りが強化された状態で、 それでも「市民は同意していた!」と政府側が叫んでも、一「市民」としては納得できるでしょうか? これは国内的な問題になると思いますが。日本もその点で今、危なくなってる気がします。 *****  テロの対象に日本が含まれるか、という話は、議論の中で私自身の意見は前に少し書きました。 (投稿5、の冒頭をご覧下さい)基本的に、日本は当事者では「ない」との立場です。  ただ最近、少し考えが変わってきたところもあって、WTCのように国際的な金融の中心地を狙うことは 実際上は一国に留まらない被害を今回のように与えることになり、つまりはグローバル化の進んだ現代社会において、 都市部への攻撃は多国対象の攻撃となり得る。 その意味でブッシュが言った「秩序への挑戦」という言葉は正しいと考えます。  犯人は象徴としての「アメリカ」を狙った。結果は「秩序」への挑戦、「多国」に対する攻撃となった。 そのために反応はグローバルな広がりを持った。その中でアメリカは「アメリカとして」報復行動に出た。 (ただ多国が非難したのはそれぞれ自国が今後、経済活動等を行なうときに脅威を感じたためで、 必ずしもアメリカに憐憫を感じたからではない。そこのところをアメリカ政府は勘違いして、 「秩序回復への支持」を「アメリカの報復への支持」に勝手に読み替えているところがあると思います。 この意味で、私はアメリカの単独行動主義は、今回必ずしも破られていないと感じます) 今回の事件で、テロのあり方も変わってくるのでは?と思います。一国を対象にするつもりでも、 確実にそこだけをターゲットに絞ることは困難になってきていることが示されたのですから。  "ゆりこ"さんの、「アメリカの覇権」構造をこのまま肯定していくか、それともオルタナの世界構造を考えるのか、 という議論には全く共鳴します。そもそも私がアピールで書いた「ビジョン」は、これを念頭に置いたものです。 (投稿5にも少し具体的に書いてみました) 前に"日向"さんが書かれたように、「力ある者が秩序を作り、都合よく改変していく」現実の中で、 それが今後も許され続けていくべきなのかどうか、考えて行動を決めることが重要なのだと思います。 (日本にとっては「第3の途」の模索でしょうか?)その際、いろんな行動のアクターのレベルが考えられるでしょう。 "かずよ"さんの指摘された、国家、民族、個人といった集団のレベルの違いです。 現在は既に、私が前に書いた「非難や文句」以外にも有効な手段が存在するのかもしれません。 19 「市民」という言葉の意味が整理できていないようです。 ゆりこ 2001/11/07 15:38 宇治さんの投稿を読んで、私は「アメリカ市民」とか「アフガン市民」の「市民」という言葉の整理が 未だきちんとできていないことに気づかされました。 私は、投稿16に  > テロリストにとってはそこにいる市民は「無辜の市民」ではない(タリバンをかく > まうアフガン市民が「無辜のアフガン市民」となり得ないのと同じように)のだと > 思います。 と書いてしまいましたが、よく考えるとこれは同じではなく、違うような気がします(お詫びして訂正します)。  > アメリカ市民にも政府に対する責任があります と宇治さんが書かれていましたが、 WTCにいた人間を攻撃したのは、 @「アメリカ政府に対して責任があるアメリカ市民を攻撃する」というより、 A「巨大多国籍企業でもって搾取しまくり、自分たちの生活を経済力で崩壊させる人間どもを攻撃する」 という意味があったのではないでしょうか。 WTCの攻撃のターゲットは確かに民間人です。しかし、Aの意味で、アメリカの軍事施設、政府関連施設 だけでなく、「経済関連施設」とも言えるWTCを攻撃対象にしたのは、「テロリストの論理」からすれば、 アメリカの軍事攻撃と変わらないような気がします(ちゃんと加害者をねらってピンポイント攻撃をしている (私は「テロリストの論理」に賛同しているわけではありません。そこは、誤解なきようお願い致します!))。  だからこそ、これは「新しい戦争」と呼ばれたのかもしれない、と思ったのですが、如何でしょうか。  下記【Web上の表記によるもので、本表記では「上記」】 の錦田さんの投稿とダブってしまうかもしれませんが、 今回のテロに関して日本の「当事者」性を考えた時に、@の意味では日本市民は当事者ではないが、 Aの意味では日本市民は当事者と言えるのかも知れません(未だいまいち整理しきれていないので、 お気づきの点がありましたらご指摘下さい)。  日本が自衛隊を派遣することについて、「自衛隊を派遣してアメリカの軍事攻撃を支援したら 日本もテロの攻撃対象になる可能性が高くなる」vs「支援しなくても日本がテロの攻撃対象にならないという保証は ない、日本は既に当事者だ」という意見のやり取りを読んだことがありますが、 これも@とAの当事者性の認識のずれだったのかな、と思います。  今や日本政府が自衛隊派遣によるアメリカの支援を決めたわけですから、日本市民は@の意味でもAの意味でも この戦争の当事者になったのかもしれません。 *****  > 殺人犯が山に隠れていて、町内会で自警団を結成して山をみんなで捜索して犯人を > 捕まえようと決まったとしましょう。  > そこで日本家だけが、「我が家の家訓で危険な事や汚れる事はしちゃいけない事にな > っているので、できません。 この例えは面白いのでそのまま使わせて頂きますと、私の認識では今の日本政府の対応は、 (続き)「だけど、村八分になるのはいやです。だけど、家訓を変えるとなると家の人間がうるさくって面倒だから いやです。それにやっぱり危険な事や汚れることを家の人にさせると家の中がごたごたするからいやです。 じゃぁ、一応村八分にならない程度に、なるべく面倒じゃない方法で態度だけ示さなくちゃいけませんね。」  という訳で、他の家の訓練された自警団を応援するために、山での犯人の捜索などした経験もない (訓練されていない)人間を派遣してとりあえず誤魔化すことにしましたとさ---というかんじなのです。 だったら(環境が整っていないんだったら)、それよりは、山に隠れている犯人に武器を送っている人間や その仲間を探すとか、犯人がどうしてその犯罪を犯したかを分析して次なる犯罪を予防する策を講じるとか、 犯罪が起こってしまった時の対応方法を考えるとか、という方法で具体的に貢献した方が良いと思うのです。  > つまり日本ひとりよがりの意見だと思いませんか? 私は思わないんです。というのは、日本が平和憲法をもとに戦争を否定するということは、 非常に大きなリスクを覚悟しなくてはできないことだと思うからです。日本が戦争に参加しなかったら 日本国内だけは平和が保たれるなんていう時代ではないという認識の上で、それでもなお、軍事攻撃を否定するならば 、これは、なまじっかな自衛隊派遣よりもよっぽど自分の国の痛みを覚悟する対応だと思うのです。 その痛みを覚悟できないからこそ、日本は世界の「構造改革」を提示しようとせず、安易にアメリカ支持に走るの ではないでしょうか。 20 ↓訂正 ゆりこ 2001/11/08 14:18 投稿19の最後のパラグラフ(ひとりよがりだとは思わない理由)が言葉足らずだったように思います。  > というのは、日本が平和憲法をもとに戦争を否定するということは、非常に大きな > リスクを覚悟しなくてはできないことだと思うからです。 の文を、下記のとおり訂正してお読み下さいますでしょうか。 「というのは、日本が戦争を否定することは、大きなリスクをも覚悟しなくてはできないことであり、また、 戦争による秩序維持(国際紛争解決)に拠らない世界構造に改革する方法を研究・提示するには、 国際情勢を研究し、広く国際的な協力を求めなければ到底実現できないことだからです。」 どうぞよろしくお願いします。(m−−m) ***** 付記:オルタナティブな世界構造の案を提示できるのは、日本が憲法9条を持ち、なおかつ(落ち目であるとはいえ) 未だ大きな経済力を誇っている国だから、戦争否定の意見を堂々と提示すればそれなりに力があり、 日本の意見を世界が全く無視することはないのではないか、と思うからです。その上、歴史的に西欧諸国よりも 得な立場にいる、ということも交渉のときに有効に利用できると思うし(これは皆さん書いておられますね)。 21 個人的意見ですが 日向新也 2001/11/08 15:04 「次元のちがい」について、 面白い見かたと思います。自分は今まで「公私の分別」って言ってました。 「個人」で考えた場合 もし、誤爆によって家族が犠牲になったとして、 自分らはアフガン国民だからしょうがないよネ。って 納得することはできるでしょうか。爆弾落とす方にしても 50mそれて民家に当たっちゃったけど、 この辺みんなアフガンの国民だから まっいいか!って言うことが許せるでしょうか。 逆に、米国テロで家族が犠牲になっていれば、核兵器使ってもいいから報復してほしいと思うでしょう。 自分は「戦争には正義も加害者も無い。 個人としての犠牲者がいるだけだ」って考えています。 (正義自体が主観的なものですし、 加害者さえもある意味では戦争の被害者では・・) 戦争論を討論するってことは、 国家レベルの高みから見た問題でしょうが、このような個人のどうしようもない立場も 当然踏まえた上での事だと思います。でなければテレビゲームで格闘して 強くなったと錯覚してるようなものでしょう。 話は逸れますが 「市民とは封建的な(国や領主との)従属関係から開放され、個人として自立した自我を持つ人々。 国民とは国に所属して、その国家を構成する一要素。(個としての個人と国家から見た個人の違い) 」 と自分は考えます。ですから、米国市民とアフガニスタン市民とは国に従属しない個として自立した人格を持つ人々 という意味で同じ土俵に立ちます。 米国の国民に対するテロか市民に対するテロか、アフガニスタンの国民の犠牲か市民の犠牲か、 この辺は論じる時一寸違ってくるような気がします でも、見る角度が違うだけで、 この辺観念論でしょうね、スイマセン。 ***** 自分は国家戦略や国際ビジョンの根底は国益 (ナショナル・インタレスト)だと考えます。 資金援助しても尊敬を得るのが良い場合もあるし、短期的には反発を受けても、 長期的には国家保障上有利な場合もある。国益には 長期的・短期的・物理的・心情的色々な側面があり 幅広い意味があると思ってます。 (所謂派遣法の範囲内の活動について) 米国は感謝してますが、 もし自衛隊が手助けしなければ何か問題が起きたのでしょうか。 米国から見て自衛隊派遣依頼が必須な要因があったのでしょうか。逆に日本が自衛隊を派遣する 国益は何なのでしょう。 テロの当事者として報復は当然。というのは 個人でならいいでしょうが、日本の国家戦略としては 何か根拠あるのでしょうか。米国としては復讐することによって国内をまとめ 対外的には米国の力をアピールする 良い機会である。と言う国益があるのでしょう。 日本としてはアフガン難民や周辺諸国への援助を通して、間接的ですが第2第3のテロリストの発生を防ぎ、 本質的な世界平和に貢献できる。のではないでしょか。これによって今後イスラム世界での日本の活動が円滑に 行くようになるので、イスラム世界では経済的にも有利な立場に立てるのでは。故に国益的にも、 無理に米国に自衛隊援助するよりは良いと考えます。 (米国支持は当然アピールし続けますけど)  さて、たとえ話ですが自分ならこうゆう話しにします。  殺人犯が山に隠れていて、町内会で自警団を結成して、山をみんなで捜索して犯人を捕まえようと 決まったとしましょう。そこで日本家だけが、「我が家の家訓で蔵の中から武器を取り出して使ってはいけないことに なってます。昔、乱暴者がいてご近所に迷惑かけて駐在さんに怒られました。またそうなったら大変なことに なるんで、武器持って自警団には参加できません。自警団の人員も足りてるようですし。」 「その代り捜索で荒れた山や、犯人の家族や被害者のケアをしましょう。そうすれば、間接的ですが 第2第3の強盗犯の発生を防げますし、安全な村創りと言う意味じゃ本質的なことですから」  (将来、犯人の家族や被害者が裕福になった時商売できるし。山の整備で山菜の場所もわかるようになるし)  討論邪魔してしまったようなら申し訳ありませんでした。m(__)m 有難うございました。また、宜しく御願致します。 22 はじめまして。 ペーパー薬剤師 2001/11/08 17:50 突然ですが、インフルエンザワクチン接種の時期がやって来ました。皆さん、手洗い、うがいはされてますか? インフルエンザで寝込んだときに、よく、母親に言われたものです。「だから、帰ってきたらすぐにうがいしなさいっ て言ったでしょ。」ああいうときの言葉は説得力ありますよね。今度から気をつけようって。  病気になる前は、手洗い、うがいでウィルスの侵入を防ぐ。また、ウィルスが侵入しても発病しないように 食事や運動で体力をつける。でも発病したら、そんなことは言っていられない。まさか、ウィルスに今度から 気をつけるから出て行ってくれと通じるわけもない。ウィルスをやっつける薬を飲む。手術をする。 通常は体にも良くないことをしなければならない。  今回のテロは、まさに重篤な病気を発症している状態。ましてその病気は、全世界に蔓延するおそれもある。 闘病しているアメリカが、劇薬、臓器移植手術を選択したのを手助けしてもいいんじゃないかなあ。  かつて世界中を震撼させた天然痘ウィルスに対しては、世界中が一致団結して強硬な手段をもって (患者の人権を鑑みず)、断固として取り組んだ結果、不可能とされた天然痘ウィルスの撲滅に成功したそうです。  テロもまた、話し合いという選択を捨てている、世界を恐怖させる、という点で、病原ウィルスとなんら変わらないと思います。  日本も断固としてテロリストを排除することにまず一致団結して取り組み、今回のテロにカタをつけることが 最重要と考えます。 「テロはアメリカに対して行ったのだ。何故、日本がからんでくるのだ軍隊を出すのだ」と考えているテロリストに、 「テロ行為そのものが、世界中を激怒させる行為だ」という認識を植え付け、最終的には、 「テロ行為では、(自分達の都合のよい)世界には変えらない」という事実を後世まで知らしめることで、 テロ再発抑止力とする必要があると信じています。    そのためには、一旦アメリカが報復攻撃を開始した以上、その是非はともかく、報復攻撃が失敗してはいけない、 いえ、世界が総力を挙げて成功させなければいけないはずです。    まずは、今回のテロに世界が団結して対処して、カタをつける。 話し合いでテロの防止、テロ発生の根本原因を 追求するのはその後だと思います。  最後に、自衛隊派遣とアメリカ追従とを結びつけて考えなくてもよいと思います。日本はテロをゆるさないという 姿勢を「テロリスト」に決然と示すために金だけでなく自衛隊をも派遣したのだ(なにがわるいねん)と、 私は言いたいです。 23 日本の国益 錦田愛子 2001/11/09 00:55 新しい議論の参加者をお迎えしたようです。 ようこそ!(^^)  > テロもまた、話し合いという選択を捨てている、世界を恐怖させる、という点で、  > 病原ウィルスとなんら変わらないと思います。  この点は、まさにそうだと思います。例えの仕方が、さすが"薬剤師"さん!  ただ、相手が個人やはっきりした主体を持つ団体であれば、ウイルスのように殲滅も可能で懲らしめることが テロ再発防止(抑止)になるでしょうが、「テロ」ってそういうものではないのでは?  このところたとえ話がよく出てきて、私自身、分かりやすく理解するのにたとえ話はよく使いますが、 例えたときに、例えられたものと例えたものとの間にどうしても差が生じてしまうので、そこに敏感になる 必要があると思います。  この場合は、「ウイルス」は誰にとっても悪い特定の物体だけど、「テロ」はよかれ悪しかれ誰かの利益を 代弁するものであること、また「行為主体」と同時に「手段」の種類を指す名称でもあること、に留意すべきだ と思います。つまり、「テロ撲滅」は実際には「テロ行為」という「手段」の撲滅ではなく「テロをするある集団」 の抹殺を意味し得る、ということでしょうか。私は後者よりも前者の方が、反発や反動を招きにくく、 かつ重要なことだと考えます。(アメリカが「秩序への挑戦」に対して「テロの撲滅」を訴えるのであれば、 当然前者が含意されているべきだと思います。後者であればやはり「ただの報復」でしょう) 「山の自警団」の例えでは、私は"日向"さんの意見に賛成です。私自身、もしその「家訓」のある家だとしたら、 梃子で押されても動かないと思う。それが「信念」というものでしょう。日本はそういう「信念」を第9条で誓った のでは?と私は解釈しています。それこそ、"ゆりこ"さんの言う「リスク」を覚悟する、ということで、 ちょっとユートピアンかもしれませんが、 > 日本が憲法9条を持ち、なおかつ(落ち目であるとはいえ)未だ大きな経済力を > 誇っている国だから、戦争否定の意見を堂々と提示すればそれなりに力があり、   > 日本の意見を世界が全く無視することはないのではないか ということに期待したい、と思っています。 というか、それをうまくやるのが「外交力」なのでは? (現在の政府には、期待できようもありませんが…)  > 「テロ行為そのものが、世界中を激怒させる行為だ」という認識を植え付け、  > 最終的には、「テロ行為では(自分達の都合のよい)世界には変えらない」  > という事実を後世まで知らしめること は確かに大事と私も思いますが、ただ「そんなにうまくいくかな?」と非常に不安に思います。 「世界が総力を挙げて成功させなければいけない」と言えば威勢はいいですが、じゃあそれだけ意気込んで、 実際問題、失敗したらどうなるの?目的を「完全な殲滅」「テロ行為の撲滅」とか、パーフェクトなものに 持っていくと、少しでもそれから欠けると駄目なわけで、そのときの反動が恐い。 やはり言うとしても「今回の首謀者はタリバンなので、それの実質的解体」とか、目的は個別にすべきだと思います。(おおぶろしきを広げた方が格好いいけど、手は広げすぎない方がよい)  > 今回のテロに世界が団結して対処して、カタをつける。  > 話し合いでテロの防止、テロ発生の根本原因を追求するのはその後だと思います。 「カタをつける」がどうして軍事力でないといけないのでしょう? 根本原因に対する長期的対策を同時進行 しなければ、結局対応が後手後手に回るのでは。「モグラ叩きゲーム」と前に書いたのはそういう意味です。  > 自衛隊派遣とアメリカ追従とを結びつけて考えなくてもよいと思います。  > 日本はテロをゆるさないという姿勢を「テロリスト」に決然と示すために  > 金だけでなく自衛隊をも派遣したのだ(なにがわるいねん)と、私は言いたいです。 日本が今後の国際的なスタンスやビジョン、長期的見通しを明らかにした上で、国民の同意も正式な手続きを 踏んで取り付け、自衛隊を派遣したのであれば、派遣はアメリカ追従と結びつかないでしょう。今回は、私には そうは見えないことに、一番不満を抱いています。(そうしたプロセスがしっかりしてさえいれば、私自身、 自衛隊の派遣に必ずしも反対なわけではありません) また「テロを許さない姿勢」とは、誰の姿勢なんでしょう?どうやってその意見は集約されたの? 反論はどのように民主的に生かされたの?ここまでいくと民主主義の制度論になってしまいますが、 こういうことをきちっと詰めるのが非常に大事だと私は思います。 "ペーパー薬剤師"さんはどうお考えですか? *****  そういう「きちっと詰める」ためには概念の定義をきちんとすることが重要で、(なんかこう言うあたり、 我ながら大学院生っぽくてどうかとも思うんですが…(^^;))その点、"日向"さんの「市民」「国民」論は 非常に明確だな、と思いました。私も大筋で賛成です。(ただ"米国市民とアフガニスタン市民とは、国に従属しない 個として自立した人格を持つ人々"という議論は、なんだか国家に対する抵抗権を重視した ちょっと特殊アメリカ的な「市民」かな、という色合いを感じましたが)  > 日本としてはアフガン難民や周辺諸国への援助を通して間接的ですが、第2第3のテロリス > トの発生を防ぎ、本質的な世界平和に貢献できる。のではないでしょか。  > これによって今後イスラム世界での日本の活動が円滑に行くようになるので、イスラム世界 > では経済的にも有利な立場に立てるのでは。  これに関しては、残念ながら、私は全く反対意見ですね。 アメリカおよび英仏と並んで軍隊を派遣する(例えその内容が人道援助でも)というポーズを取った以上、 イスラーム諸国からの反発は必至なのではないでしょうか?そして軍事的対決の姿勢を明確にすることは、 第2、第3のテロを更に招くと思われます。「敵」がはっきりする訳ですからね。この場合むしろ「宥和政策」の方が よいのでは。  > 日本が自衛隊を派遣する国益は何なのでしょう。  > 日本の国家戦略としては何か根拠あるのでしょうか。 これについては大いに議論したいですね。 みなさん、どう思われますか?
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