同時多発テロ 掲示板記録1

1. テロの当事者は誰か?

1 テロにどう対応するか 大津留智恵子 2001/10/10 10:36 日本国内で、テロ支援にいかにかかわるかについて議論がもっとあるべきだという意見に賛成します。 日本人も犠牲になっているのだから他人事ではないという意見が聞かれますが、それは的はずれです。 日本人がたとえ一人も犠牲になっていなくても、国際テロという、まさに国際的状況が生んだ犯罪 (犯罪です、戦争ではりあません)に、国際社会のメンバーとして日本が責任をもって対処することは、 当然のことです。 そして、日本が国として行動をするのであれば、国としての外交方針が当然考えられるべきです。 アメリカに誉めてもらうことが外交方針なのかと理解せざるを得ない政府の対応は、根本的なところで 間違っています。日本が軍事力を紛争の解決手段としないという憲法は、外交方針のどこに位置して いるのでしょうか。日本は、戦場化しているアフガニスタンや周辺諸国に、独自の外交ルートを持ち、 対話をする力もないのでしょうか。そもそも、軍事行動を支持する判断は、軍事的勝利の後のシナリオ を想定することなくできないはずです。周辺諸国は、それぞれの国益から望ましいシナリオを描き、 支持・不支持をおこなっている。日本にとって、それは何でしょうか。 国連や国際司法に代わって、アメリカという一国家が国際社会の規則を作り、執行し、善悪の判断も するという状況を、日本を含めて他の国々は無責任に受け入れすぎてきたのではないでしょうか。 冷戦後のアメリカ一人勝ちは、実はアメリカが乗り出すまで誰も動こうとせず、そのためにアメリカが 自分のルールで行動することを抑止できなくなった状況ではないかと思います。アメリカ外交の二重基 準を批判することは簡単ですが、その責任を私たちも負っているのではないでしょうか。 始まってしまった軍事行動は、軍の論理で進んでいます。これを、人間の論理で速やかに止めなくて はいけません。国際テロをアメリカが力で裁くのではなく、国際社会が法で裁くというルールを守らな ければ、正義という名で暴力が行使され続けていくことを止めることはできません。暴力が正当化され 続ける限り、不公正な状況が、正面から不公正だとして対処される機会はないのではないかと思います。 2 法的手段行使の重要性について 錦田愛子 2001/10/11 12:47 投稿ありがとうございます。 ご指摘のあったように、アメリカが正義という名で暴力を行使しているという見解、 これを国際社会が法で裁くというルールで規制して行かなければならないという見解には、全く同意致します。 たしかに国際的な法の拘束力は弱く、結局は実際の国際的な勢力関係を反映した政治行動になって しまう、というのは避けがたいことかもしれませんが、それを容認してしまうのと、あくまで法による 正当性を付与しようとするのとでは大きく異なると思います。  アピール文の中で、「ビン・ラーディン氏の有罪が正確に立証されているのか?」と疑問を呈して いる部分がありますが、これは彼個人を擁護するというのではなく、そのような法的手続きをきちんと 踏むべきだ、という主張です。  どんなに重大犯罪であっても、処罰を公的な規則、手続きに委ね、自力救済に走らない、というのが 近代社会の基本的なルールだと思うのですが。どうでしょう? 3 法的手段行使について むらかみゆりこ 2001/10/12 10:49 国際法を持ち出すと、直ぐに返ってくるのは、「国際法は強制力がないのだから、それは理想論だ」 という答えです。アメリカとタリバンの両方が納得する公権力がないのだから、自力救済に走って 何が悪い、ということなんだと思います。  このような意見に対してはどのように答えたら良いのか思案中です… 錦田さんなら、どのように答えられるのでしょうか。  昨日、JMMというメールマガジンで村上龍さんと山本芳幸さん(国連難民高等弁務官カブール事務所長) の対談が送信されてきました。山本さんの「国際社会は、タリバンを国際社会から締め出しておきなが ら、国際社会のルールで非難している。しかし、それは無理な話だ。むしろ、国際社会に受け入れて 条約などを結べば、その条約をもとに色々な交渉ができるかもしれない」という意見は説得力がありました。  あと、戦争とテロとでは戦争は勝ち目はない、戦争はルールに則ってしなくてはならないけれど、 テロにはルールが必要ないから、という意見にも同感しました。  日本の対応については色々考えることがあるのですが、時間が無いのでまず一つだけ。法についての 議論が「神学論争」と揶揄される現状に危機感を覚えています。このまま行けば知らない間に 「法治国家」の枠組みから崩れてしまいそうな気がするのですが、大げさでしょうか…。  確かに「これが今するような議論なのか?」というような印象を受けることもありますが、これは 今まで議論してこなかったからで、実際に準備ができていないのだから、そこを認めろよ、 ごまかさずに、きちんと国際社会で恥かけよ、と言いたくなります。 4 こんな時期にノーベル平和賞はないだろうと思う今日この頃です。 平和祈念ゾウ 2001/10/12 22:42 長崎県出身の会社員です。もちろん平和運動家でもありません。案の定報復の報復テロが近々あるそうで、 職場の新宿で起こらないことを祈るのみです。  私は、パレスチナについて詳しくはないので、皆様のように高尚な議論はできませんので、率直な意見だけ 書いときますね。  まず、愛子さんの提言ですが、3つとも非常にもっともなことをおっしゃっていると思います。 いいんじゃないでしょうか。アメリカの軍事行動に関してはどう考えても無茶です。 「どさくさまぎれ」という感じを受けました。そこまでやる必要はないですよねぇ。  国際法的な観点での話は、よくわからないので日本の対応についてだけ感想を述べますが、今回のテロは、 我が国の民間法人及び、多数の邦人が犠牲となっています。これは我が国が直接テロリズムの被害にあったとは 言えないでしょうか?もし、日本の本土でテロが起こった場合はどう対応するのでしょう?自衛隊に報復攻撃を 命じるのでしょうか?そういう有事の時の対応策とかについて、いい機会なので徹底的に国会で議論してもらいたい な〜と感じました。  ところで提言者の愛子さんにお聞きしたいのですが、提言の3つ目の「日本の抱く国際的なビジョン・戦略の 全体図」とはどういうことを意味しているのでしょうか? ・まずこれを誰が持つことを想定していますか? 政治家に求めていますか?それとも国民全体の一致した意見として 求めているのですか? ・何に対するビジョンでしょうか? ・そのようなビジョン・戦略は必要なものなのでしょうか? ビジネスのレベルで言えば、企業は多国籍化していますし、経済のグローバル化はもはやかなり当たり前の状況に なってきました。(それも今回のテロの一端なんですが)そのような社会状況では、一国のビジョンの有効性について はあまりないのではないでしょうか?  あんまり長くかくと自分で何言ってるかわかんなくなるのでこの辺にしときます。  あと最初に投稿した人にですが、「日本にとっての軍事的勝利後のシナリオ」とは、「世界経済における (といっても欧米中心ですが)信用の低下」を恐れただけじゃないでしょうか?だいぶ国債もランクが下がっちゃい ましたし・・・。   5 「国連」って(身分資格的に)ノーベル賞を受けられるんですね!びっくり 錦田愛子 2001/10/13 05:41 だんだん議論になってきたみたいで喜んでいます。(^^) さて、日本が今回のテロに対してどれだけ「当事者」なのかについては、実は私も判断に迷っています。 > 今回のテロは、我が国の民間法人及び、多数の邦人が犠牲となっています。これは  > 我が国が直接テロリズムの被害にあったとは言えないでしょうか? というのはもっともなような気もするのですが、でもやっぱり、犯人の狙いは「たまたま居合わせた日本人」ではなく、 「アメリカ」という国家だったと思うし(象徴的な建物ばかりを狙ったのがそれを表している気がします)、 そうするとやはり「直接」被害は被ってるけど、「当事国」ではない気がします。 > もし、日本の本土でテロが起こった場合はどう対応するのでしょう?自衛隊に報復  > 攻撃を命じるのでしょうか?そういう有事の時の対応策とかについて、いい機会  > なので徹底的に国会で議論してもらいたいな この点に注目して、一般的な「有事法制」(いざというとき対応できるようにする法)という形で審議を進めるのか と思っていたら、どうも今回のテロに限定した法律にするみたいですね。 でも小泉内閣はもともと有事法制にかなりやる気だったように思うので、今回の支援法案の審議が終わったら、 今度はそちらに議論が移るんではないでしょうか? > ところで提言者の愛子さんにお聞きしたいのですが、提言の3つ目の「日本の抱く > 国際的なビジョン・戦略の全体図」とはどういうことを意味しているのでしょうか? > ・まずこれを誰が持つことを想定していますか? > 政治家に求めていますか?それとも国民全体の一致した意見として求めているのですか? > ・何に対するビジョンでしょうか? > ・そのようなビジョン・戦略は必要なものなのでしょうか? 法律を作ったり、それを解釈して政治を進めるのは国会議員か政治家なので、結局その辺りの人々が持つことが 最終的には必要になりますね。 でも彼らの考えが国民一般とかけ離れていては、「民意を反映した」法律とはいえないので、できるだけ盛んに 一般の人々の間でも議論が交わされることが重要だと思います。  個人的には前の国旗・国家法案とか新ガイドラインのときは、充分な議論の盛り上がりがないまま成立してしまった 気がしているので、その二の舞だけは避けたい、という気がします。 「国民全体の一致した意見」というのは、制度的になかなか難しいですが、少なくとも世論調査で大体の傾向は 分かるし、こうしたネットとか、身近な人との会話とか、報道とか(そこに映される運動の様子とか)によって 意見は形作られていくと思うので、どんどん私たちが議論をしていくことは、決して無駄ではないと思っています。  そうでなければ、そもそも大きな社会での民主主義なんて実現しようがないですもんね。(^^;)  そしてビジョンは国の基本的なスタンスに関するもの、すなわち、この場合は、日本が完全に武力行使を 放棄し続けるのか、それとも限定的な目的と場合に限っては、「国際協調」のためにこれを許すのか、 といったことに関するスタンスの明示だと思います。他にも、国際社会の中でどのような地位を占めたいのか (アメリカのように国際秩序を動かしていく大国になりたいのか、 それとも日本国内の安全と福祉を最優先して、国際的な影響力の追求は控えるのか、 といったことも明確にすべきだと思います。(卑近な例で日本の国連常任理事国入りの話がよく上がりますが、 そういう制度的な「地位」に関してではなく、もっと大局的に国際政治を見た上での判断が重要だと思います。)  短く言えば、アメリカのようにいろんな国に「協力」して関与していく「ハイオク」型か、 必要に応じて最低限の義務だけを果たす「省エネ」型か、ということになるのではないでしょうか。  で、そういうことを国が決める必要性ですが、たしかにグローバル化の進展で国の存在感がある部分薄れてきている のは事実ですが、例えば今回のテロに関してアメリカが「国家として」テロ組織に反撃している(つもり)のように、 やはり意味があると思います。個々の企業は統合されておらず、事件に対して意思を統一して動くのは煩雑ですし、 今回のように個々の企業の性格に関係なく被害を被ったとき、やはり問題になるのはそれを管轄している国の対応、 ということになるのではないでしょうか?「税金払ってるんだから、困ったときくらい守ってくれよな」ってところ でしょうか?企業からすれば。  うーん、でも最後の点は、ちょっとでも説得力にかけますね。 もう少し考えてみます。 6 いかに罰するか? 石山たいら 2001/10/14 01:27 今回の事件を国家間の戦争として捉えるか、国際的犯罪として捉えるかどうかによって視点は随分と異なるもので あると思いますが、犯罪と捉えた場合、国際司法レベルで考えることが必要になるでしょう。その場合、犯人への 制裁は必要的であり、予防的側面から考えれば第二の凶悪テロを防止するためにも厳然たる態度をもって臨むべきでは ないかと思われます。  今回の事件では「個人的」テロ組織を国家が事後的に隠匿する形で幇助しているケースだと考えられ、国家を 人格的単位として考えるのであれば、主犯と共犯に対する実力行使は合法かつ適法であるはずです。 ただし、刑法が各国の社会・文化・宗教等を基盤に成立しているものであり原則として個人を対象としていることを 考えると、国家の可罰性というのは、国家を活動単位として考え、世界規模で共通に認められるルールを作らない限り 認められないと思います。(その点では、結局今回の事件は国外逃亡した犯人を捕まえるケースであり、 現在の国際ルールでは相手国の全面協力がない限り不可能ということになります(よど号事件などと同じケースでしょう)。) そうすると、極論でいけば、厳格なる司法権の発動=犯人の野放しを意味することになってしまいます。 こうした意味では、私は今回のケースは刑法的意味での可罰性というよりは、「刑法の擬制」で捉えるべきではないか と考えています  法は理念であると同時に現実でもある以上、法秩序を維持するために必要な強制力は正当化されるはずです。 もし犯人は逮捕しなければならないが、軍隊は投入すべきでないというのであれば、今回のようなケースでは 解決は不可能になることが必然です。また、対象となる単位が国家である場合、市民警察ではなく、軍事力による 犯人逮捕も「公正」でないとは言いきれないと思われます。今回の軍事行動が「法秩序の維持」を目的とした 実力行使であるとすれば、法による裁きを唱えつつ軍事行動に反対するのは果たして妥当と言えるのでしょうか。  結局、ここから先は「正義のルールを貫く以上仮に犯人だと99%分かっていても、罰しない」という 現代の刑事手続ルールを貫徹するか、「確かにルール上は罰することができない。が、事件の内容から考えても それを許すことは到底できない。万が一、主犯が違ったとしても、関連していることは間違いないのだから、 何としても報復するべきだ」と考えるかに分岐するのではないでしょうか。(私の立場としては、あくまで 「これは許せないことであり放っておいたらいけない」という考えが根底にあります)。  私個人としては、アメリカの「犯人を引き渡すのでなければ力ずくでも手に入れる」は決して行き過ぎでは ないような気がします。暴力を持って抵抗する犯人を、説得以外の方法で捉えることを許さない刑法は世界中の どこにも存在しないことからも、常識的な範囲においては武力行使は認められるのが妥当でないかと思われます。 それに、事実、イスラム圏ではどうか知りませんが、国際慣習的にも司法手続的にも納得できる程度の勧告が タリバンに対してなされています。これに対してアフガン政権の対応(これは公のもの)やニュースで流される アフガン市民の一部の「聖戦」という声は、被害者側が憎悪すべき犯人像を拡大するものであると考えます。  ただ、もちろん、無関係な市民に対する配慮は必要です。彼らは国家と別個の人格と考えられますから。 実際にアフガンの一般市民の声がどうなのかわからないのが最も問題ではないかと思います。 7 「防衛秘密」について 錦田愛子 2001/10/15 03:27 日曜日の朝日新聞で、自衛隊法の改正に関連して「防衛秘密」という規定が設けられる、という話が出ていました。 あれってどうなんでしょう?軍事機密の漏洩を防ぐ、という意味では正当な内容のようにも受け取れます。 それともやっぱり、朝日の言うように「言論統制」の第一歩なんでしょうか? また、石山さんの意見は、テロを武力で罰する方向での、法規定に依拠したかなり説得力のある議論のような 気がします。皆さん、どう思われますか? 8 はじめまして 槙田吉弘 2001/10/16 17:18 はじめまして、槙田と申します。 石山さんの意見を読んで、気になったので書かせてもらいます。犯人への制裁が第二の凶悪テロを防止するとは とても思えません。報復は必ず報復を呼びます。彼ら(一様実行犯がアラブ系だったので、犯人がアラブ系という 前提で書きます)は自らの命を躊躇なく捨てることができる人達です。我々の常識を当てはめて考える事は出来ないと 思います。テロが起きる背景を解決しない限り、第二、第三のテロが起きるのは必定です。テロリストは、 他に自分達の意見を聞いてもらえる方法がないので、テロという手段に訴えるのではないでしょうか? 無論、テロ行為を擁護する気は、まったくありません。しかし、そこまで彼らを追い詰めてしまった事実にも 目を向けるべきでしょう。彼らはGWブッシュが言うように、悪なのでも馬鹿なのでもありません。 ダライ=ラマの声明をお聞きになりましたか? 9 宜しく御願致します。 日向新也 2001/10/29 18:06 1、今回のいわゆる『同時多発テロ』に対する米国の対応は国際社会における米国の威信の維持と米国内の 世論への対策であり、テロに対する法的な制裁とか、卑劣なテロリストを撲滅する。と言うのは報復行動を正当化 するためのスローガンにしか過ぎないのでは。 2、本当の犯人が誰であれ、被害に相応した報復行動をとることができる生贄の羊を見つけることが第一であり、 法的にその証拠が実証できるとか、その証拠を元にして真犯人を法的に裁くとかは米国にとっては2次的な問題だった と思われる。 3、故に、米国の報復行動はまさしく報復のための報復であり国際法的に正しいとか、本当に彼が犯人なのか、 アフガンの国家主権はどうなるの?とかの問題はいくら周囲で騒いでみても米国は関知しないのではないだろうか。 4、国際社会には国内のような公的な立法司法機関は無い。今回の米国の行動は『米国の正義』という相対的な基準に もとづいて行われている。法的に考えた場合。これはヤクザの出入りと同じで、米国が高倉健かラビンが極道の妻か 区別つきませんが公的な立法・司法機関に拠らない報復という点では同レベルの行動と考えます。 現在国際社会自体がそのレベルなのでこの点の善悪は議論できないでしょう。 5、テロの防止という意味では 1テロリストを造らない基盤整備(これは今盛んに議論されてますね) 2テロ活動を予防する規制処置(この対策も議論されてますが3−2とは違います) 3テロ発生後の対応 3−1発生した被害を最小とする体勢創り(テロの効果が少ない) 3−2犯人の確実な検挙(必ず捕まるからテロ出来ない) 以上が重要と自分は考えます。 6、但し先のご意見にも書かれていましたが、1のテロの無い社会の創造にはテロに訴える以外に意見を聞いて もらえない国際社会の弱者の立場を考慮する必要がある。しかし、現実にはこのような人々の意見は、 たとえ国連決議があったとしても耳を貸そうとしない大国のため実現できない。 7、日本としての問題は、とにかく9条の問題を解決することでしょう。無くすのか、厳格に実行するのか、 どちらにしても湾岸戦争や今回ようにこの問題を逃げてその場その場の行き当たりばったりの対策を重ねることは (ドチラノ立場にとっても)百害あって一利なしでしょう。真剣な討議の中で日本の戦略的な立場も明確化される のではないでしょうか。 とりあえず以上で失礼いたします。 10 個人的な意見ですが 錦田愛子 2001/10/30 00:39 久々の書き込み、ありがとうございます。(^_^;)  さて、ご指摘の第1・3・4点については、全くその通りだと思います。つまり、アメリカ側の解釈として、です。  「テロ撲滅」のスローガンのもと、実際は、国内世論対策と、傷つけられたアメリカの威信への主観的な報復を試みて いるのだと思います。その際、国際法や外国の主権などにはわざと触れないことで黙殺しており、それができる アメリカの国際的な「力」を見せつけていると感じます。  「力ある者が秩序を作り、都合よく改変していく」それがこれまで繰り返されてきた国際政治の現実なのかも しれません。究極には排除できないことでしょう。「強者」を力で封じることはできず、また政治的なやり方を 「正しくない」として「正当な」制裁を課すことも困難だからです。(行為に対して評価を下す価値観は あくまで相対的なもの)  ただ、それに「文句を言う」(非難する)ことはできるでしょう。それから、そこに自ら(自国)がどう荷担する のかを決めることも。私がアメリカの報復攻撃反対ではなく、あえて日本の自衛隊のことを問題にしているのも そのためです。  たしかに国際社会を統括する立法/司法機関は存在しませんが、だからといって力ある者がする全ての行為が 許されている訳ではありません。イラクの侵略も、ピノチェトの国内弾圧も、国際的な非難の的になり、 結果的にある種の制裁措置を取られて(あるいは取ろうとされて)います。国際的な合意に基づき、 戦争時の行為を制限する法律もできています。(たとえばナパーム弾の使用禁止とか、制圧地域の併合禁止とか) もっともこれらが政治的な力の弱い者に対してのみ適用される傾向が強いのは確かですが、相互依存の進んだ (たとえば貿易とか)国際社会で非難を浴びつつ好き放題にふるまうことは大国と言えども不可能でしょう。  しかも、大国が自分勝手な行動に出ようとするとき、それに対してどういう行動を取るか、というのは第3者にとって は自由裁量に委ねられていると言っていいのではないでしょうか。(日本が「第3者」かどうかはまた別の議論になりますが)  たとえば、今回のアメリカの行動を、純粋に「テロ防止」という要素だけ抜き出して考えれば、アフガニスタンには 全く関与せずに、国際的な対テロ組織網を整備し、必要な人材・情報ネットワークの管理/育成に力を注ぐ、 という方法も取れるはずです。(ご指摘の5−1,2に限定する)そこを敢えてアフガン絡みの協力にこだわるのは、 イギリスも日本も、アメリカとの同盟意識に基づいてのことだとしか考えられないでしょう。(つまり「第3国」では ない、と政府は解釈しているのでしょう) 「反テロ」とか言いながら、政治的判断(しかも2国間)で行動に出ているのは日本もアメリカと同じ、という ことでしょうか。  ご指摘の第6点は、悲しむべき現実、しかも今回のテロの根底にある本質的な問題だと思います。 本来、「テロの根絶」を言うのなら、こちらに力を入れるほうが論理的だと思うんですが。 (「テロ行為」の発生を圧殺しよう、というのは、モグラ叩きゲームに終わるような気がします。 この点、第7点の日本の現段階での対策も同じですね) 11 次元のずれ かずよ 2001/10/31 01:51 テロ以来の報道をテレビや新聞で見聞きし、シックリこないものを感じています。  この事件を巡ってのKeyword(よく耳にするもの)は、ビン・ラディン、アメリカ、アラブ、イスラム・・つまり、 個人・国家・地域・宗教という、全て次元にズレがあるものだと思います。もちろん、その全てが網の目のように 絡まって「社会」は構成されており、別々のことでは決してないのですが、 一体今自分がどのレベルのことを言っているのかを、ある程度認識していなければいけないと思います。 それが混乱するからこそ、そこに偏見「ビン・ラディン=ALLイスラム」みたいな)が生まれるのではないでしょうか。  日本がどう対応していくかという点についても、どうすればいいかという具体的なことは分からないけど、 とりあえず、もっと「落ち着いて」考えることが必要だと思います。 テロ行為そのものが深刻な問題且つ犯罪であることは確かですが、解決のためには一体何が問題かということを、 日本の私たちは、日本人として、どう理解しているのでしょう?「アメリカ、ガンバレー」ではなくて。 それが法案の趣旨にも論議にも見えてこない。  よく、「自分の家族があのビルにいたら・・ということを想像すれば、許せないはずだぁ」なんて言ってるけど、 それこそ、個人の悲しみや怒りを、「テロ集団」という具体的な形とか人数とか、誰とかということがはっきりしない ところにぶつけろって、言ってるもんだという気がします。だから、テロ→ラディン→イスラムみたいに、 無理な大まか「計算」を引き起こしているような・・。 ちょっと危険なんじゃないでしょうか。 12 チョットくどいかも知れませんが 日向新也 2001/11/05 09:26 地上戦も始まっていよいよ阿米戦争も佳境に入ってきたようですね。 米国はイスラム教とテロを分離してあくまでも、テロリズムを擁護するイチならず者集団への天誅であると 主張しています。アフガニスタン政府としては、なんとか、イスラム世界対米国西欧諸国連合という構図を 完成させようとしているように見受けられます。 米国が(今回はイスラム諸国に代表される)国際的弱者の賛同をどれくらい得られるかによって、今後の情勢が 左右されるのではないでしょうか。つまり米国という大国がどれくらいイスラム諸国・非西欧諸国の文明や 先進資本主義の文明とは異なった文明を理解してそれに配慮できるか、(短期的には断食月や一般市民の犠牲等)  (長期的には経済的政治的な貧困搾取等) にかかっているのではないでしょうか。と思います。  でっアピールにありました日本の抱く国際的なビジョン・戦略の全体図を明確化し 議論を尽くし、政府・議会は国民的な議論を喚起・吸収してその結果として自衛隊を派遣すべきであり、 自衛隊を派遣するために派遣する。ような (自衛隊は国際的ビジョンの一手段であり目的ではないはず) 今回の所謂自衛隊派遣法による性急な自衛隊派遣に反対しよう (と自分勝手に解釈すれば) まったく同意します。  今回の事件に限って言えば個人的には米国に派遣法による支援などはしてもしなくても米国では十分 間に合っているのでは・・・ 日本(東洋の国々)も協力してくれているというポーズに対して米国は感謝しているのでは・・・  たぶん本音としては英国と違って言葉コミュニケーションもうまくいかない集団が戦場近くで戦闘するでもなく うろうろするより、人と口を出さずに金だけ出してくれればそれでいいのに、有難た迷惑っさ(-_-;)  って感じだと思いますよ。  日本としては米国とテロ撲滅への協力を表明しつつ、自衛隊の特殊性をアピールして米国直接支援ではなく、 今回の戦争の被害者と周辺諸国への救済、(どうしても派遣したいのならPKO等の)自衛隊派遣支援を重視すべき ではないかと考えてます。  その気になれば日本は西欧諸国とアフガニスタン周辺の各国の橋渡しを出来る立場にある貴重な国だと考えます。 (歴史的にも政治経済においても多分そうでしょう) この辺をもっと米国や西欧諸国に主張してもいいと思います。  長くなってしまいました。 失礼いたします。有難うございました。 13 アンチテーゼ 宇治 一 2001/11/05 18:10 みなさんの意見は極度に軍事力=悪 という図式にのっとっていませんか? 私は今回のアメリカの攻撃は全面的に指示します。無差別に民衆(飛行機の乗員・WTCの人々)を虐殺したのは テロリスト達です。ビン=ラディンがテロに荷担したと言う証拠を アメリカ政府は得たと発表しています。そして同盟国のイギリス・日本の両首相もそれを了解しています。  これに対してその証拠を示せとの意見もありますが、それによりその証拠を入手した経路が判明し、 それらに関わった人々が危険に晒されるのは明らかです。これらの人々はどうなっても良いという事でしょうか?  どうもみなさんの意見に違和感を感じるのは、今回犯罪しかも卑劣で凶悪なテロを起こしたのはラディンだ ということです。(私はアメリカの声明を信じます。信じるかどうかは人それぞれでしょうが・・・) そしてアメリカは攻撃前に条件を示し、その為の猶予期間も設けました。また誤爆はあるにせよ目標はあくまで 軍事施設、もしくタリバン拠点です。  これのどこに問題があるのでしょう?  また、無辜のアフガン市民に犠牲をしいているとの表現もありますが、ほんとに無罪でしょうか? これは極めてむごい言い方に聞こえるかもしれませんが、彼らは積極的、消極的いずれにせよタリバンを政府として 認めているのです。東ティモールやユーゴの人々は武器を手に自らの政府にNOを突きつけました。 もちろんこれは平和な日本にいるからいえる事かもしれません。しかしアフガン市民がタリバンを甘受したのは 事実です。また、市民に犠牲が出ている原因の一旦は、市民を盾に利用しているタリバン政府です。 非難されるのは彼らでしょう。なぜアメリカが非難されるか理解に苦しみます。  ゆえに私は彼らが極めて当たり前の行動をしているとしか思えません。なぜみなさんはそうまで否定的なのですか?  自衛隊の派遣にしても、もっとじっくり考えてとの意見が大勢ですが、平和時ならそれで私も結構だと思います。 しかし今は違うでしょう?テロは対岸の火事ではないとおもいますが。のんびりと旗幟を明らかにせず討論してる 場合でしょうか?その意味では時限立法化したのは最適だと思います。もちろん今後しっかりと討議すればですが・・・  報復は報復をよぶ、わたしもそう思います。しかし他に今取るべき方法がありますか? 理想論や学術論ではなく、いまできる効果のある現実の方法が他にありますか。これは現実世界でおこっている リアルの世界のはなしでしょう?今、何ができるか?ここが重要なポイントだと思うのですが。  おまけ 9条をうやむやのまま誤魔化そうという姿勢は私も納得できません。 14 アンチテーゼ、ありがとうございます 錦田愛子 2001/11/05 23:24 「議論」をする以上、アンチテーゼを立てて、それについて論理的に考えていくことは大事ですよね。 貴重なご意見、ありがとうございました。(-.-)  さて、今回の一連の出来事については、大事な情報が隠されていたり、後に修正が加えられていたりするので 注意が必要ですが、ご指摘の内容についてはいくつか自分の理解との間に齟齬を感じました。  まずアメリカの声明の扱いについてですが、これについて、情報源の特定が危険を伴うというのは 私もそうだと思います。ただ、それでも漏れてきたいくつかの「証拠」が非常に間接的なものだったこと (近い時期に何か行動を起こす、と言っていたのを第3者が聞いていた、といった程度のもの)や、 アメリカが非常に早い段階で犯人をビン・ラーディンだと特定し、非難を始めていたことなどが、やはり気になります。  やったのはやはりビン・ラーディンだろう、と実は私も思っていますが、ただその特定する手続きが甘い、 充分に公正ではない、と言いたいのです。たとえばこの段階で、すぐに国連決議を取ってもよかった訳でしょう? この点では現時点においてもまだ正統性が低い。アメリカは湾岸戦争のときのように多国籍軍にすることも できるはずなのに、そうしない。きっと国内世論のためだと思いますが。  でもそうだと、結局のところ一国の私怨を晴らすための軍事行動でしかないと思うのです。 それをどうして他の国が支援する必要があるの?  次に軍事力=悪、という話ですが、この点については私は個人的には実はあまり人道的立場からの空爆全面反対、 という訳ではありません。ただ、「空爆がアフガン・タリバーンに対して有効なのか?」という意味では 誤爆の正当性を主張することには反対です。  そもそもアフガンに稼動可能な軍事用飛行機はほとんど存在しなかった、という話だし、ゲリラ部隊の攻撃拠点は 地下に多い、という話なので、空爆は殆んど無意味でしょう。それなのに延々と続けて米軍の地上部隊に主力を 移さない、というのがいかにも「スタイルとして攻撃をしている」ような気がして腹が立つのです。  軍事的にも無意味なことをして、それで被害が出る、というのは馬鹿げてる、そもそも軍用ジープとか 小規模の設備を攻撃するのなら、地上部隊を派遣すれば済むことで、そうすれば数十メートルの誤差で民家が焼けたり しなくて済む、と思うのです。それをしないのは、結局アメリカが「手を汚したく」ないから、 ベトナムやソマリアのように大規模な犠牲者をアメリカ側に出したくないからだと思うのです。 そんな半端な姿勢で戦争をやるな、と言いたい。 ***** 「無辜のアフガン市民」に関する「消極的支持」という議論は興味深いですね。太平洋戦争を起こした 日本の国民はそれを支持した訳だから、空襲や原爆攻撃を受けても文句を言う筋合いはない、ということにも なるのでしょうか。(まあ原爆については兵器そのものの残酷さから別の議論にもなりそうですが) 私自身も「無辜の民」という表現については少し疑問に思ったりもしています。たとえば親を殺された少年が、 怒って石を投げて兵士を殺したら、その瞬間から彼はテロリストなのか、といったレベルの話でです。 ゲリラ戦の場合、「民」と「兵士」を分けることは不可能でしょう。とすれば、誰が殺すべき「敵」なのか? どの時点で攻撃は達成されたことになるのか?これはアメリカ軍司令部に是非聞いてみたいところです。 まさかタリバーンを支持するアフガン国民全員を皆殺しにする気はないでしょうし。  日本に関して言えば、そうした現実味のある戦争について考えることから遠ざかっている我々が、 性急に戦場に近づくべきではない、という意味での反対です。たとえばアラビア海に浮かぶ米艦船への給油の話が 国会で議論になっていましたが、「抗戦地域には立ち入らない」というから、空母から戦闘機が発着したり、 攻撃が始まったらどうするのか、という質問に対して「そのときだけ給油管を抜けばいい」という答弁には 唖然としました。そんな馬鹿なことを言っちゃうくらい、戦争に関してはとんちんかんなんだから、 そういう分野には首を突っ込むべきではない、と思うのです。 時限立法、事後承認というのはまだしも現実的な選択だったと思いますが、そこまでして自衛隊を派遣する以上、 覚悟はできているのだろうか、と不安に思います。 *****  今回の件では、アメリカは諸外国の「ポーズ」に感謝している、というのは鋭い指摘だな、と思いました。 「報復は自分の手で殴るから意味があるのであって、他人に殴ってもらう必要はない」といったところでしょうか。 日本は外交的にもっと橋渡しができる、本当にそうだと思います。でもそれを実際にやろうとして現地を行脚している 中東研究者に全くといっていいほどスポットが当たらないのは、頭がカッとなっている日本の状況をよく表してる と思います。  日本も「非」西洋文化圏として(西洋「文明」圏には吸収されつつあるかもしれませんが)イスラーム圏との 相互理解に役立てたりしないんでしょうかね? 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