「終わりよければみなよろし」?

(2001年11月18日)

 タリバーンがカブールおよびカンダハールを一時放棄し、今回の同時多発テロを受けた
一連の大規模な戦闘行為がようやく終息を見たようです。
[カンダハールについてはその後の情報でいまだ膠着状態であることが判明しました。
この点、記載の時点では事実誤認で失礼しました]
カブール市民の喜びに満ちた表情などを見ていると、彼らがタリバーン政権下で
いかに抑圧を受けていたか、タリバーンによる独自のイスラーム解釈の強制が
いかに無理のあるものであったかを感じます。また同時に、
彼らアフガン住民が数十年におよび、いかに戦乱にさらされてきたか、
そのために一方の勝利による束の間の平和が彼らにとっていかに貴重で喜ばしいものなのか
がそこに伺えるように思います。

 ただ、アフガニスタンとテロに関して言えば、注意すべき点が2つあります。
一つはアフガニスタンには、まだ「平和」や「安定」が戻ったわけではない、
ということです。
 アフガニスタンは「タリバーン以前」の群雄割拠の騒乱状態に戻っただけです。
これには後継の政権像が明らかになる前に、北部同盟が進撃し、征服してしまった
ことにも責任があります。(アメリカはこの展開を避けようとしていたようですが)
「タリバーン後」をめぐって、アフガニスタン内の諸勢力の間で争いが起きるのは必定であり、
これからが正念場とも言えるでしょう。
コソボの例を見てもここからが大変であり、多くの血が流されました。
我々は、まだアフガニスタンから関心を失ってはならないと思います。

 二つ目は、カブール陥落の歓喜の中で、またその少し前から、
忘れられた重要な存在がある、ということです。
ウサーマ・ビン・ラーディン、彼はいつの間に、アメリカの攻撃のターゲットから
外れてしまったのでしょう?

 勿論、「テロ支援組織」としてタリバーンを攻撃することには、
アメリカなりの論理として、筋が通らないわけではありません。
ただ、攻撃の本来の目的は、テロの実行犯、テロ組織としてのビン・ラーディンとアル・カーイダを
攻撃することだったはずです。それがいつの間にか、攻撃しやすい、目の前にある対象
ということで、タリバーンが主敵にすり替えられているような印象を受けます。
日々の報道からはビン・ラーディンの名前が激減し、タリバーンに対する軍事攻撃の成果
ばかりが注目されていましたが、
アメリカが主張する「犯人」は、まだ捕まっていないのです。


 その間、同時多発テロに対する日本の対応の面でも大きな展開がありました。
テロ対策特別措置法が成立し、それに基づく「基本計画」が11/16の臨時閣議で決まりました。
またその決定に先行して、「研究・調査」目的で既に自衛艦3隻が派遣されています。
11/20からは「基本計画」に基づき協力支援活動として正式に護衛艦3隻、補給艦2隻が
派遣可能になります。その他にも航空機では輸送機6機、支援機2機、
被災民救援活動として掃海母艦1隻、護衛艦1隻が派遣可能になります。
 これらが日本国民の代表として、どのような活動を行なっていくのか、
私たちは責任ある市民として見守っていく必要があるでしょう。

 また、ブッシュ米大統領の言う「テロとの戦い」もまだ始まったばかりです。
テロ活動を支援する一組織に打撃を与えただけで、テロが世界からなくなるわけでは
ありません。テロ組織に対する資金の流れの阻止など、
一次的なテロ対策の国際的な枠組み・体制の構築自体も今だ不充分ですし、
テロの起こる根本的な原因の除去、すなわち南北格差の是正や貧困の撲滅に向けた努力は
これから真剣に取り組まなければならない課題です。
その取り組みの中で、日本がどのような役割を果たすことができるのか、
どういうビジョンを示し、リーダーシップを発揮することができるのか。
憲法9条により現状では制約を抱える国として、むしろここからが本領を発揮できる分野ではないでしょうか。


 アフガニスタンでの軍事攻撃は一応の区切りにたどり着きました。
懸念されていたラマダーン(イスラームの断食月)との関係にも、
アフガン・ヒンドゥークシ山脈の冬の寒さにも、現実的に悩まされる前に
攻撃がこの段階にたどり着いたのは、幸運なことだったと言えるでしょう。
 日本がイージス艦派遣を巡って議論を難航させることもなく、
また一応の「先行派遣」をした後に戦闘が終息に向かったのも幸運でした。

 しかし「終わりよければみなよろし」と行くのでしょうか?
そもそもまだ何も「終わっていない」という私の考えは、冒頭で提示しました。
日本の国際的な枠組みの中での役割や、安全保障に対する関わり方、軍隊の保有・行使
に関しての議論も、これから発展させられるべきだと思います。
今回の派遣は、アメリカ同時多発テロ対策として作られた、2年の時限立法の内部で
行なわれたに過ぎません。
今後類似の事態が発生した場合にはどう対応するのか?
あくまで臨時立法で対処するのか、それともこれを機会に、日本の姿勢や現状の問題
について徹底的に考えるのか。
議論はまだ始まったばかりです。


 民主主義の擁護とは、ひとりひとりが政策決定に関心を持ち、議論を尽くすことから始まります。

 決して、報復攻撃によって相手を殲滅することで守られるのではありません。

 日本は今後の国際社会でどのような役割を果たしてくのか、先の戦争から何を学び、活かしていくのか。慎重に決断を下すことが望まれると考えます。

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