2001年9月29日

アピール

一、性急な自衛隊派遣に反対しよう

一、議論を尽くせ、政府・議会は国民的な議論を喚起・吸収せよ

一、日本の抱く国際的なビジョン・戦略の全体図を明確化しよう


 私は広島出身の大学院生です。しかし、「広島出身」であることによって、広島の被爆経験、
すなわち「ヒロシマ」から出発した平和運動家ではありません。
むしろ湾岸戦争やカンボジア、旧ユーゴスラビアなどで起きた戦争などの同時代的な記憶に基づき、
一個人として戦争と平和について考えています。従来から活動に参加されてきた方ばかりでなく、
多くの方とともに議論していければと思っています。

 私は現在、パレスティナ・イスラエル間の紛争について勉強しています。
そこには全ての紛争の火種が凝縮されていると考えるからです。
またそこは、今回のアメリカでの同時多発テロにも暗い影を投げかける、中東和平の舞台でもあります。
今回の出来事では、テロリスト、容疑者とされているのが全てアラブ系の名を持つ人たちであるがために、
アラブ・イスラム世界と、主に西洋文明を享受している世界との間に摩擦や不協和音を高めかねません。
 しかし本当に、犯人はオサマ・ビン・ラディン氏で、実行犯はそれらアラブ系住民なのでしょうか。
我々は明確に納得のできる証拠を示されているでしょうか。
これだけの悲劇を生んだテロですから、責任は非常に重く、厳罰に値するものだと思います。
そのため、むしろ犯人の追及は慎重に、正確な情報に基づき、行なわれるべきではないでしょうか。
手続きの公正性を高め、調査主体の恣意性を回避し、波及的な憎悪の高まりを避ける方策が取られる必要があります。

 現在、アメリカ合衆国内の一部では、アラブ系住民に対する暴力的な嫌がらせが起こり、
テロ事件に注目が集まる陰で、イスラエル国内では衝突等により多くのパレスティナ人が犠牲になっています。
これらの事態をアラブ寄りの支持者として憂慮するのではなく、私はただ同じ人間として、
そうした根拠の曖昧な、拡大解釈による憎悪の高まりを恐れ、悲しんでいます。
 報復は報復を生み、事件とは無関係だった多くの人々に癒しがたい苦しみと悲しみを与えます。
それが回避しがたいものであるとしても、悲しみはより少なく、痛みはより小さいものにとどめねばなりません。

 今回のテロに日本が無関係だとは言い切れないでしょう。また直接の関係の有無に関わらず、
テロが非難されるべきものであり、犠牲者の方に哀悼の意を捧げるのは当然のことです。
しかし、今後の日本の関与を考えるに際し、今回のテロと日本にどれだけの関係性があるのかを
明確にすることも重要と考えられます。
 テロの意図は、本当に自由と民主主義への挑戦だったのでしょうか、
それともアメリカ一国に対する憎悪だったのでしょうか。後者の可能性も捨てきれないのではないでしょうか。
その場合、ことは基本的にアメリカとテロリスト両者間の問題になります。
国際的なテロ包囲網などの試みが必要になるとしても、当事国であるか協力者であるかによって、
関わるべき程度は異なってきます。
 犯人にとって「アメリカ」は、どんな意味を持っていたのでしょうか。具体的な政策内容だったのか、
表象的な資本主義的・自由主義的価値体系だったのか、
そこが明らかになる前にテロを「自由と民主主義への挑戦」と呼ぶのは早計とも考えられます。
日本の具体的な関与についての決定も、でき得る限りの公正な犯人追求によって
その点が明らかになってからで遅くはないのではないでしょうか。


 1991年の湾岸戦争での130億円の「不名誉」に関して、今回の対処に名誉挽回をかける向きが
日本社会の中に存在することは事実だと思います。そのためもあってか小泉内閣のテロを受けた初動は早く、
臨時対応の早さ・方策も評価に値すると思います。
ただ、ここからは国民的な議論を待つべき段階ではないでしょうか。
有事法制、自衛隊に関する問題は、日本の今後の戦争に対する姿勢、方針を決める内容です。
国民全体の将来を大きく左右する問題です。ここでなし崩し的な決定をし、
今後の立法への突破口ともなりうる法律を容易に成立させることは非常な危険を伴うと思います。
たしかに事態は緊急のものかもしれません。しかしアメリカ自身、長期戦の構えで対策を練り、外交努力を重ねている以上、
日本が必要以上に焦ることもないと思います。
まずは日本が今後、世界の中でどのような地位を占めたいと考えるのか、どのような働きをしたいのか、
全体的なビジョンを確立する必要があります。そして確立の過程で行なわれた議論を踏まえ、
全体方針の中で位置付けられた、必要と思われる方策を採ればよいのではないでしょうか。

 近視眼的に「国際貢献」という名に踊らされ、戦略的な考慮や戦術的理解もなしに自衛隊を派遣することの方が、
国際的にはむしろ恥ずべきことではないでしょうか。民主国家としてテロに対する民主主義の防衛を唱えるなら、
むしろ民主的な手続きを徹底し、様々な形で議論を大いに行い、決定を行なうことの方が重要ではないでしょうか。
その結果、自衛隊の派遣を国民の大多数が求めているということになって初めて、
派遣を決定すべきですし、その時期について、活動内容について、法改正を伴うかどうかといった点について
更に議論をしていくことも必要でしょう。  自衛隊は武装した組織であり、国内的にはともかく、国際的には軍隊として評価される部隊の派遣に対して、
当事国からどのような認識・対処がされるか、相応の覚悟は必要だと思います。
戦後の日本にはあまり現実の認識として必要とされなかった、そうした覚悟へのコンセンサスが充分に形成されないうちは、
易々と派兵を唱えるべきではないのではないでしょうか。
また近隣諸国への対応をおざなりにし、ましてや関係を悪化させたままでの派兵については、
外交的見地からも疑念を抱かざるを得ません。

 以上の認識に基づき、私は冒頭の3点のアピールについて署名を訴え、
第2、第3点に関しては、実際の議論を呼びかけたいと思います。
完全な政策の提案にしなかったのは、充分な内容を提示できないことと、
内容について議論すること自体が大切だと考えるからです。
議論により、更に明確な提案が形成されることになれば、
その時点で再度その内容について署名を集め直すことを考えています。

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